この度、本校郷土芸能部が富山新聞社より「令和5年富山新聞芸術賞」に選ばれ、3月11日(土)、富山新聞高岡会館での贈呈式にお招きいただいた。郷土芸能部のこれまでの長年にわたる活動や、昨年夏の全国高総文祭東京大会での最優秀賞・文部科学大臣賞受賞(3度目の日本一)を評価していただいたということで、私は贈呈式並びに式後の部員たちによる演目披露を会場の後ろから見守った。

 贈呈式が終了し、部員たちが着替え終わって帰り支度をしていたとき、何気なく時計を見ると、奇しくも「14時46分」に差しかかるところだった。今からちょうど12年前の今日、まさにこの時刻、東北三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大規模地震が起き、その直後、巨大津波が広く東北の太平洋側沿岸各地を襲った。さらに、この地震・津波は福島第一原子力発電所の事故を誘発し、多くの犠牲者・避難民とともに「東日本大震災」として人々の記憶に永く刻まれることとなった。

 震災発生から4ヶ月後、私は当時勤務していた県教委の仕事でたまたま秋田市に出張する機会があった。この際、世界遺産に登録されたばかりの中尊寺金色堂(「平泉-仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」)を見に行こうと思い岩手県平泉町に足を伸ばした。平泉駅前のレンタサイクル店に立ち寄ったところ、そこのご主人が被災地の陸前高田でのボランティアから丁度帰ってきたところだった。

 ご主人から直接被災地の様子をうかがい、あらためて震災の被害の大きさや被災した方々の悲しみに思いを馳せることとなった。私は生半可な気持ちでは被災地を訪れることはできないと思い、平泉から真っ直ぐ富山に帰ってきた。あれから12年。果たして被災地の復興は進んでいるのか、福島原発に至っては廃炉まで果てしない年月がかかるという。時折、復興ソングだった『花は咲く』を聴くにつけ、震災の記憶と教訓はしっかりと後世に伝えていかなければと強く思う。